よみもの・連載

信玄

第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「さようだ。久しいな、頼綱」
 真田幸綱は微かな笑みを浮かべて言った。
 矢沢頼綱は、海野棟綱(むねつな)の女婿である真田頼昌(よりまさ)の三男として誕生し、この年で齢三十四になる。つまり齢三十九になった真田幸綱の五つ下の実弟だった。
 矢沢家は諏訪の一族で矢沢郷一帯を代々領してきた国人衆である。矢沢郷は真田郷に隣接していたが、諏訪家との関係で滋野一統である真田家とは長らく敵対していた。
 頼綱は京都の鞍馬寺(くらまでら)で僧となったが、跡継ぎがいなくなった矢沢家に養子に入って真田家との宥和(ゆうわ)を図るため、還俗して郷里の小県へ戻ってきたのである。
 この弟が矢沢家の当主となることで、真田家は小県での領地を盤石のものとした。
 ところが、十年前の天文十年(一五四一)五月に武田信虎、諏訪頼重(よりしげ)、村上義清の連合軍に攻め入られ、滋野一統は海野平を追われてしまう。
 真田幸綱は主君の海野棟綱を守りながら、羽尾(はねお)幸全(ゆきてる)を頼って上野(こうずけ)の羽根尾城へ逃れている。
 しかし、この時、滋野一統として戦った矢沢頼綱は、城と領地を守るために村上義清に降(くだ)った。
 戦国の大乱世においては、実の兄弟が従う主家を違(たが)え、分かれてしまうことも珍しくはない。幸綱と頼綱は、まさにその典型的な例であり、各々の家族や同心を守るためにも最善を選択しなければならないからだ。
 その後、兄はいっこうに動こうとしない海野棟綱を見限り、禰津(ねづ)元直(もとなお)を頼って武田家に臣従する。
 そのことを弟の頼綱は風の便りで耳にはしていた。
 だが、村上義清から砥石城の守将を命じられていたため、兄との連絡は一切絶っていた。
 これも敵味方に分かれた宿命である。
 その兄から年明けに書状が届き、どうしても二人きりで会いたいと申し入れられた。
 当初は己の立場を鑑み、矢沢頼綱は断りの返事をした。
 ところが、一ヶ月ほど前の便りで、幸綱が武田晴信から暇を出されたことを知り、会ってみる気になったのである。
「兄者、暇を出されたのは、前(さき)の砥石崩れのせいか?」
 矢沢頼綱が上目遣いで訊く。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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