第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)5
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
信繁は中天に昇った陽を仰ぎ、眩(まぶ)しそうに眼を細める。
――その成果を試すのが、こたびの戦になるやもしれぬ。指呼の間にいるだけで、これだけびりびりと背筋が痺(しび)れるのだ。相手にとって不足はなし。
その時、背後から声が聞こえてくる。
「ご注進!」
本陣からの使番(つかいばん)、飯富(おぶ)昌景(まさかげ)が駆け寄り、片膝をついた。
「いかがいたした?」
信繁が振り向いて訊く。
「本陣の支度が整いましてござりまする」
「さようか。では、予定通り、本日になるのだな」
「はっ! さようにお伝えいたせと御屋形(おやかた)様より承ってござりまする」
「大儀であった。戻ってよいぞ」
信繁は飯富昌景を下がらせ、すぐに将たちを集める。
「かねてからの予定通りだ。皆、これまで以上に敵方の動きに注意するよう気を配ってくれ。されど、うかうかと相手の挑発には乗るな。よいな!」
信繁の命に、各持ち場を預かる将たちは一斉に短く返事をする。それから、素早く踵(きびす)を返して持ち場へ戻った。
すると、隣の陣から騒がしい音声(おんじょう)が聞こえてくる。
雨宮の隣にある屋代の渡しには、鮮やかな赤色の旌旗がはためいている。
その旗幟を掲げる兵たちもまた、赤い戦装束で全身を固めていた。旗指物(はたさしもの)や具足だけではなく、得物(えもの)、馬具、袋物まで統一された見事な姿だった。
武田勢の中でも最強と謳(うた)われる赤備衆である。
朱は水銀(みずぎん)の原料となる高価な辰砂(しんしゃ)を使わなければ出せない特別の色であり、赤備の具足一式を纏(まと)えるのは、武田家中でも武勇に秀でた者たちだけと決められている。
それゆえ、この一団には足軽から騎兵まで名うての剛の者が揃(そろ)っていた。
そして、赤備の猛者たちを束ねているのが、甲山猛虎(こうざんもうこ)の異名を持つ飯富虎昌である。
川縁まで出た足軽たちが罵声を発しながら、対岸の敵に印地打(いんじうち)を行い始めた。
印地打とは、投石による攻撃のことであり、川を挟んで対陣した時などによく起こる末端の小競り合いだった。
当然のことながら、投げた石が届く距離に敵がいるはずがなかった。それでも、口々に相手を罵(ののし)りながら印地を打ち合う。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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