第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)5
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「ただひとつ、お願いがござりまする」
「何であるか」
「寸刻先の闇だけを見つめてきたこの左眼に、奇襲の様を見せてくださりませぬか」
菅助は綺麗に拭いた眼帯を差し出す。
「これをわしに持ってゆけと?」
「ええ。こう見えても摩利支天のご加護がありますゆえ、御守の替わりとして具足に下げていただくだけで結構にござりまする」
「それがそなたの願いであるか……。承知した」
虎昌は微かな笑みを浮かべ、右手を差し出す。
菅助は刀印(とういん)を結んで早九字(はやくじ)を切り、最後に「オン、マリシエイ、ソワカ」という真言(しんごん)を唱えてから梵字が刻まれた眼帯を渡した。
「道鬼斎殿、これを通して、そなたへ赤備の力を見せると約束しよう。その替わりに、豊後殿と一緒に御屋形様のことを頼む」
赤備衆の大将は、朱塗りに月星の金紋が入った仏胴(ほとけどう)の胸板に眼帯を括りつける。
「お任せあれ」
隻眼の老将は眼帯の替わりに白布を巻く。それから、照れくさそうに笑い、玉杓子(たまじゃくし)で鍋をかき回した。
「兵部殿、鍋が煮えましたゆえ、腹一杯召し上がりませ」
菅助は椀にたっぷりとほうとうをよそい、飯富虎昌に手渡す。
「豊後殿もいかがか?」
「おお、それがしも御相伴にあずかろうかの」
椀を受け取り、地面に胡座(あぐら)をかいた室住虎光は汁をひと口含み、ゆっくりと息を吐いて眼を瞑(つぶ)る。軆の隅々まで滋養が染み渡るといった風情だった。
それから、熱さをものともせずに麺をすする。食べ始めてすぐ、額に玉の汗が浮かぶ。
赤備衆の大将も無言でほうとうをすすり、その滋味を嚙(か)みしめていた。
「ふぅ、旨(うま)かった」
飯富虎昌は右手で額の汗を拭う。左手に持った椀は、汁も残さず空になっていた。
「兵部殿、おかわりを」
菅助が手を差し出す。
「いや、一杯で充分だ。あとは腹を空かした若い者どもに喰わせやってくれ」
「承知いたしました」
「皆、旨そうに喰うておるわ」
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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