よみもの・連載

信玄

第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)5

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

   七十二

 永禄(えいろく)四年(一五六一)九月八日、子(ね)の刻(午前零時)過ぎの唐木堂(とうぼくどう)越えであった。
 墨黒(ぼっこく)の闇を微(かす)かに揺らし、どこからか山狗(やまいぬ)の遠吠えが聞こえてくる。
 真田(さなだ)信綱(のぶつな)と昌輝(まさてる)の兄弟は、思わず軆(からだ)を強ばらせて立ち止まった。
 耳をそばだて周囲の気配を探り、二人が顔を見合わせる。
 近くに山狗たちの気配はない。どこか近くの山中から風に流されてきた声らしい。
 兄の信綱が小さく首を横に振り、弟の昌輝がゆっくりと頷(うなず)く。
 それから、獣道(けものみち)の脇にある木の枝に結ばれた白布を確かめる。これは先に登っていった透破たちが残していった合図だった。
 灯火を使わずに山を登攀しているため、道を外れないよう細く裂いた白布を一町歩(約百九b)ほどの間隔で枝に結んでいる。
 わずかな月明かりの下でも、白布は夜目に鮮やかであり、こうした相印は夜襲を行う時にも同士討ちを避けるためによく使われた。
 百足衆の二人は白布を確認し、さらに赤布を結びつける役目を負っている。この二つの印だけが、後方からついてくる者たちに道が間違っていないことを伝えていた。
 真田信綱は白布の隣にしっかりと赤布を結び、昌輝は手にした鉈(なた)で周囲の藪(やぶ)を切り開く。できるだけ後続の真田衆が登攀しやすくするためだった。
 二人は真田幸隆(ゆきたか)の嫡男と次男であり、元服してからは信玄の側近である百足(むかで)衆に属している。
 百足衆とは元々、武田の金山で働く金掘(かねほり)衆のことだった。
 それが戦場で穴掘戦法を得意とする工兵として編成されたのである。暗い穴での苦行をものともしない屈強な足軽隊は、「絶対に後退しない者ども」という意味をこめて百足衆と呼ばれた。
 百足は決して後ろさがらない。常に前へ出て大顎で相手を刺し、毒で倒すことから神毘沙門天王(びしゃもんてんのう)の使いだとも言われている。
 やがて、百足衆には重臣の子息が抜擢(ばってき)されるようになり、信玄の使番として新たに編成されることになった。
 そして、今回、真田兄弟の率いる百足衆が奇襲の先行隊に抜擢されたのである。
 灯火を使わずに山を登りながら道を切り開くという難儀な作業だが、これこそが暗闇の中でも後ろにさがらない百足衆の面目躍如たる役目だった。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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