第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)5
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
しかし、本当に難しい局面を迎えた時は皆が慎重になり、長い沈黙が続く。
信玄はそうなることをひどく嫌っていた。
「評定で皆が黙り込むことだけは、何としてでも避けねばなりますまい。誰かが策を具申しなければならぬ。道鬼斎殿、もしも、窮余の一策があるならば、さわりだけでもお聞かせ願えませぬか」
幸隆は隻眼(せきがん)の老将の表情を窺(うかが)う。
「まだ、策というには、ほど遠いかもしれぬ。されど、先日、昌信(まさのぶ)殿と話をしていた時に、海津城で少しばかり面白いことを見つけました。それが策を練る手掛かりとなるやもしれぬゆえ、その話ならばできるのだが……」
菅助も勿体(もったい)ぶっているのではなく、まだ己の策に確信がないため、ことさら慎重になっているようだ。
幸隆はそれを察して話を促す。
「是非に、お伺いしたい」
「さようか」
菅助は海津城を訪れた時の話をし始め、幸隆は真剣な面持ちで聞き入っている。
途中から菅助が地面の上に図を描き、二人はそれを見ながらすっかり話し込んでいた。
あらかたの話を終え、菅助が訊く。
「いかがであろうか。これを使って策を練り上げられそうだと思えまするか」
「うむ……。策としては実に難しい仕立てとなりそうな気がいたしまする」
さすがの謀将も腕組みをして唸る。
「おそらく、この策を為すためには、そなたの倅(せがれ)殿のような将兵が必要となろう」
「百足衆にござりまするか」
幸隆の息子である信綱(のぶつな)と昌輝(まさてる)は、百足衆に属している。
百足衆とは苦行をものともせず、絶対に後へは退かない屈強な足軽隊のことだった。
「さよう。屈強な足軽頭が要となる」
菅助の一言で、幸隆はこの老将がなにゆえ己のところへ来たのかを悟った。
「されど、道鬼斎殿。これは奇策中の奇策となるゆえ、正攻法を望まれる方々は評定で反対なさるかもしれませぬな」
「いかにも。かような策を嫌がる方も多かろう」
二人の脳裡(のうり)には共通の顔が浮かんでいた。
常に真っ向からの力戦(ちからいくさ)を主張する飯富虎昌の面相である。
「されど、正攻法と申すならば、妻女山の裾から攻め登らねばなりますまい。今さら、さような愚策を具申する者はおらぬであろうて。かといって、他の策も見当たらぬ」
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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