第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)5
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「道鬼斎殿、わざわざそなたが夫丸頭を務め、われら赤備のために『御膳ほうとう』まで賄ってくれるとは、いかなる風の吹き回しであるか」
飯富虎昌は顎髯をしごきながら訊く。
「大蒜味噌のほうとうは、芯から軆が暖まりまする。日照り続きのせいか、この時節になっても例年に較べて日中は陽気が強いように感じまする。されど、やはり、夜更け過ぎから払暁にかけては冷えこみますゆえ、精がついて体熱を保つ食を取るのが一番。山中へ入られるのであらば、なおさらのこと」
菅助は奇襲隊として山中へ赴く赤備衆を激励するために、自ら賄いをかって出た。
「さようか。余計な気遣いをさせてすまぬな」
「なんの、兵部殿が賛同してくれましたゆえ、かの策が形になりました。ほんのお礼にござりまする。それがしには、かようなお手伝いしかできませぬゆえ」
「うむ。……道鬼斎殿、ひとつ訊いてもよいか」
「何でござるか」
「そなた、本当は奇襲の隊に加わりたかったのではないか。なにゆえ、御屋形様に訊ねられた時、返答をためらったのだ?」
虎昌の問いに、隻眼の老将は微かに俯き、しばし黙り込む。
様々な思いが、菅助の胸の裡で交錯しているような気配だった。
赤備の猛将と室住虎光は、じっとその顔を見つめている。
「……この軆では、足手まといになるだけにござりまする」
菅助はぼそりと呟く。
「そなたらしくないのう。己が心のままに策を講じ、己が心のままに戦の野を駆けめぐる。それが、山本道鬼斎菅助の信条ではないか。これまでも、さように戦い、功を上げてきた。足のことなど、さしたる厄介にならぬわ」
「兵部殿。こたびの戦は、これまでのようにはまいりませぬ。御屋形様の予断をも許さぬほどならば、おそらく、誰も見たことのない大戦となるやもしれませぬ。寸刻先の闇を見つめるこの左眼の疼(うず)きが、痛いほどそのことを伝えておりまする」
菅助がおもむろに眼帯を外すと、傷を負って塞がった左眼が現れる。
虎昌は驚いた表情でその仕草を見ていた。 それを気にもとめず、菅助は胸元から白布を出し、摩利支天を顕(あらわ)す梵字(ぼんじ)が刻まれた眼帯を丁寧に拭く。
「さような戦となるならば、策におけるわずかな瑕疵(かし)も許されず、我執(がしゅう)にかられ、この身が奇襲隊のお荷物となるわけにはまいりませぬ。それよりも、兵部殿が必ずや越後勢を川中島へ追い落としてくださると信じ、それがしはこの隻眼で己が策の顛末(てんまつ)を見届けとうござりまする」
「さようか」
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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