よみもの・連載

信玄

第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)5

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 虎昌は眼を細め、嬉(うれ)しそうに特別仕立ての陣中食を頰張る赤備衆を眺めていた。
「なあ、道鬼斎殿……」
「何でござりましょう」
「この戦が終わって内山(うちやま)の城へ戻ったら、菅助流御膳ほうとうの作り方を教えてくれぬか」
「……兵部殿が、賄いを?」
「ああ、これだけは格別だ。覚えておいても損はあるまい。それがしが作れるようになったならば、まずは御屋形様に御毒見役をしていただく。だから、しっかりと教えてくれ」
「是非もなく」
 菅助は嬉しそうに笑った。
「今頃、真田は山の麓に着いた頃か」
 飯富虎昌は腕組みをして妻女山に連なる連峰を眺め渡す。
 すでに先行隊となる百足衆と真田衆が密かに陣を出ていた。
「細かく分かれた軍勢が唐木堂口の辺りで終結している頃と存じまする。透破を放ち、登攀の機を計っているのではありませぬか」
 菅助が言ったように、百足衆と真田衆は二百ほどの小勢に分けられ、 食材調達を行う夫丸の振りをし、妻女山とは反対側にある皆神山(みなかみやま)の麓へ廻っている。
 ここまでくれば、妻女山の頂きからも自軍の動きは見えない。
 それから、狼煙山を経由して松代西条の方角へ戻り、唐木堂口まで進むという経路である。
 かなりの遠回りになるが、相手に動きを察知されないために入念な偽装がなされていた。
 そこから夜になれば、ほとんど灯火を使わない登攀が始まり、相当に難儀な行軍になるはずだった。
「亥(い)の刻(午後十時)には、わしらも出立いたす。いよいよだ」
 赤備衆の大将は気合を入れるように胸板の高紐(たかひも)を締め直す。
「御武運を祈り、八幡原にて、お待ちしておりまする」
 隻眼の老将が小さく頭を垂れる。
「兵部よ。頼んだぞ」
 室住虎光が微かな笑みを浮かべ、飯富虎昌の肩を叩く。
「お任せあれ、豊後殿。しっかりと仇を取ってくる」
 それぞれの思いを胸に抱き、武田の将たちは戦いの時と向き合おうとしていた。
 すっかり暮方の名残を消し、淡い宵闇が川中島を包み始めた。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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