よみもの・連載

信玄

第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)5

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 しまいには手で投げるだけではなく、手拭いなどを使って距離を伸ばそうとする者も出てくる。
「こらっ! 何の騒ぎだ!」
 走ってきた飯富虎昌の一喝に、石を投げようとしていた足軽たちの軆(からだ)が固まる。
「……お、御大将」
 足軽頭が虎昌の形相を見て、地面に平伏す。
 その頭ごなしに怒声が響く。
「誰が印地を打てと申した!」
「……あ、相済みませぬ。されど、こちらから始めたのではなく、向こうの者が先にわれらを口汚く罵り、石を投げてまいりまして……」
「御屋形様が手出しはならぬと申されたのだぞ。それに赤備の一員ともあろう者が、つまらぬことをいたすな! 敵の小者など相手にせず、泰然と笑いとばしておればよいのだ!」
「も、申し訳ござりませぬ。すぐに止(や)めさせまする」
 足軽頭は大将の剣幕に戦(おのの)きながら、手下に印地打を止めさせようと走り回る。
 すぐに足軽たちは投石を止めたが、対岸にいる越後勢の足軽はまだ何かを喚(わめ)きながら石を投げていた。
 室住(もろずみ)虎光(とらみつ)が飯富虎昌の隣に並び、面白そうに囁(ささや)きかける。
「まあ、石のひとつも投げたくなる気分がわからぬでもないがの。越後の者どもとて暢気(のんき)に酒を呑んで動かぬ総大将に嫌気がさしておるのではないか」
「さりとて、われらは御屋形様の禁を破るわけには参りませぬ。されど、かような騒ぎが起きるということは、焦(じ)れた相手にわれらの威圧が効いているということではありませぬか。つまり、この戦が煮詰まってきた証左。そろそろ、向こうも動いてくるやもしれませぬ」
 虎昌はじっと対岸の敵兵たちを見つめる。
「御屋形様の読みは、いつもながら鋭いの。やはり、常に一歩先を行かれておるわい」
 室住虎光は腕組みをして唸(うな)った。
 渡しを封じた信玄の考えには含みが隠されており、将たちはそれを理解している。
 先手を取りながらも動かない上杉(うえすぎ)政虎に対し、あえて後の先を取り、変幻自在な策で相手を動かそうとしていた。
 屋代での小競り合いは、すぐに収まった。対岸にも越後の将が出てきて、足軽たちの投石を止めたからである。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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