よみもの・連載

信玄

第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)5

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 その報告を聞いた真田幸隆が、みるみるうちに顰面となった。
「弾正(だんじょう)殿、いかがいたした?」
 馬場信房が怪訝(けげん)な顔で訊く。
「方々、やはり、何やらおかしなことが起こっているようだ。この先の鞍骨山へ物見に出ていた透破が戻っておりませぬ。そこで繋ぎの乱破(らっぱ)を走らせたのだが、それも戻っておらず、この先に敵の何者かが潜み、霧に紛れて待ち伏せしている節がありまする」
 真田幸隆の報告に、今度は馬場信房と飯富虎昌が顔を見合わせる。
「われらの奇襲が読まれているというのか?」
 虎昌の言葉に、幸隆が小さく首を振る。
「詳しいことはわかりませぬが、越後勢とて背後をがら空きにしたままでいるはずはありませぬ。鞍骨山か、天城山(てしろやま)の辺りに物見を出しているであろうということは、予測の裡(うち)にござりまする。どうやら、それが鞍骨山であったらしい。そんなこともあろうかと、敵の物見が本陣へ戻れぬようにするため、屈強な乱破を放ってありまする。もしも、敵の伏兵があったとしても、われらの頭数ならば殲滅(せんめつ)して先へ進むこともできましょう。されど、思わぬ異変が起こっていることに違いはありませぬ」
「うむ。……気に入らぬな」
 飯富虎昌が腕組みをしながら吐き捨てる。
 その時、突然、周囲の兵たちが騒然となった。
「敵襲か!?」
 三人の将も佩刀(はいとう)の柄に手をかけ、声のする方に走り出す。
 朱槍を手にした赤備の足軽たちが、五人の者を取り囲んでいる。
 その中の一人が叫ぶ。
「真田殿は、真田幸隆殿はおられませぬか!」
「真田はそれがしだ! うぬらは何者ぞ?」
「……われらは、香坂隊の伝令にござりまする」
「香坂隊の……。いかがいたした?」
「御大将からの御言伝(おことづて)にござりまする。われら香坂隊は西条から登攀を始めましたが、途中、濃霧に包まれて動きが取れなくなったため、定められました刻限にこちらへ合流することができなくなりましてござりまする。それゆえ、香坂隊は尾根道の下を走る林道を使い、最短の道筋にて妻女山の脇に出る経路へ変更させていただきたく存じまする。それならば、何とか奇襲の刻限には足並みを揃えられるかと。皆様、ご立腹のこととは存じまするが、何卒、ご容赦いただきたくお願い申し上げまする」

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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