よみもの・連載

信玄

第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)5

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「なるほど」
 信玄と信繁が同時に呟く。
「さらに、この連峰にはいくつかの隠された道がござりまする。そのひとつがこちら」
 菅助の指した新たな場所は、松代西条(にしのじょう)にある清水寺(せいすいじ)と西楽寺(さいらくじ)の辺りだった。
 この麓からは鏡台山よりは一段低い大嵐山と鞍骨山を繋ぐ峰へ登る道が記されている。しかも、地図には細い林道が三つほどあった。
「この林道は大嵐山と鞍骨山を繋ぐ尾根道と交差し、そのまま反対側に抜けておりますゆえ、三滝(みたき)という場所を通って反対側の麓である倉科(くらしな)の里へ抜けることができまする」
 その説明を受け、飯富虎昌が眉をひそめて訊く。
「倉科と言えば、村上(むらかみ)義清(よしきよ)の陣がある後方の辺りになるのではないか?」
「さようにござりまする。倉科へと下りる経路を使いますれば、屋代と雨宮の渡しへも最短にて着くことができまする。これらのことをすべて含めますれば、鏡台山と大嵐山へそれなりの手勢を配しましたならば、景虎の本陣がある妻女山はおろか、越後勢のすべての陣に背後から奇襲をかけ、妻女山一帯から追い落とすことができるのではないかと。ただし、この策にはいくつかの難点もござりまする」
 一応の説明を終え、菅助が総大将の顔を見つめる。
「その難点のひとつとは、鏡台山へ忍ぶまでに要する時であろうな。菅助、この山頂へ辿(たど)り着くまでに、どの位かかると読んでいるのか?」
 信玄が鋭く問う。
「日中でありますれば、三刻から四刻の間かと。されど、相手に気取られぬよう暗中を動くとなりますれば、さらに一、二刻を加えねばなりますまい」
 菅助の答えでは、昼間に大人の足で鏡台山へ登るためには、六時間から八時間弱の時を要するという。
 それが夜間となれば、さらに三、四時間の過分を考慮しなければならなかった。
 つまり、総計で十時間ほどの登攀(とうはん)を考えねばならぬということである。
「ならば、兵の配置だけでも一日で済む策とはならぬな」
 信玄が思わず顔をしかめる。
「はい、鏡台山に潜むまで一夜。さらに敵の背後へ回り込むのに、あと一夜。おそらくは二日懸かりの行程となりまする。それも有能な先導があってのことと存じまする」
「ならば、その先導役は、われら真田の衆と百足衆にお任せいただけませぬか」
 間髪を容(い)れずに、真田幸隆が申し出た。
 この漢の顔を、一同が揃って見つめる。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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