第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)5
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
敵はまったく反応を見せず、策を講じたことで、かえって焦燥が募ったのは武田勢の方だった。
そのせいもあり、信玄は奥の間に籠もり、自問自答を繰り返していた。
己の信条に合わない戦いに踏み出すことに対し、肚が括れるかどうかを問うていたのである。
そこに戸の向こう側から声が響く。
「御屋形様、失礼いたしまする……」
「源五郎(げんごろう)か?」
信玄がゆっくりと眼を開ける。
「はい」
真田昌幸の恐縮したような返事が聞こえた。
「いかがいたした?」
「御思案中のところ、まことに申し訳ござりませぬ。皆様方が大広間にて、お待ちになられておりまする」
「ああ、もう、さような刻限か……」
信玄はゆっくりと立ち上がり、襖戸(ふすまど)を引く。
正座した昌幸が両手をついていた。
「御屋形様、お邪魔をいたしまして、まことに申し訳ござりませぬ」
「構わぬ。どうせ、兵部(ひょうぶ)あたりが待ちくたびれて仏頂面をしておるのであろう?」
「あ……。いいえ、御屋形様のお加減が良くないのではないかと、ご心配なされておりまして……」
「加減など悪くない。景虎になめられ、少々、虫の居所が悪いだけだ」
信玄は扇を掌(たなごころ)に打ち付け、眉をひそめる。
その顔を、真田昌幸は恐る恐る上目遣いで見上げた。
「それゆえ、本日は何がなんでも仕置のやり方を決めねばなるまいて。さて、それでは難儀な評定へと参るか」
信玄は大股で広間へと向かい、真田昌幸は小走りで後を追った。
将たちの張りつめた気配を感じながら、総大将が評定の場へ入ってゆく。
大上座についた信玄はすぐに口を開く。
「皆、待たせてすまなかった。少しばかり、うたた寝をしておったら、景虎が満悦で琵琶を弾いている胸くその悪い夢を見てしまった。誰か、あの者を山からひきずり下ろし、余の眼前で琵琶を弾かせる策のある者はおらぬか?」
皮肉たっぷりの言葉に、将たちの間に緊張が走る。
「ならば、御屋形様。いっそ、われら総軍で善光寺の後詰を一気に叩(たた)き潰し、犀川の向こう側へ布陣してはいかがにござりまするか」
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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