よみもの・連載

信玄

第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)5

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「ならば、逆に訊ねとうござりまする。菅助、そなたはこうまで姑息(こそく)な手を使わねば、景虎が動かぬと踏んでおるのか?」
 歯に衣(きぬ)着せぬ物言いで問う。
 一同の間に緊張が走った。
「ええ、これまでの応対を見ますれば、さように思いまする。それに兵部殿、この戦をいたずらに長引かせてはならぬのでは」
「さようだな。ならば、御屋形様、それがしは菅助の策に乗せていただきまする。ただし、われら赤備衆に大嵐山から倉科の里へ攻め寄せる役目を命じていただければ、ということで」
 虎昌の答えに、一同は驚きの表情になる。
 異形の老将もさすがに驚きを隠せず、思わず聞き返した。
「……されど、兵部殿。その役目には馬を使えませぬが」
「馬など敵陣へ行けば、鞍(くら)付きでいくらでも奪えるであろう。背後から村上義清の尻を蹴り上げた後、一等立派な馬を奪い、あの者を散々に追い回してくれるわ」
 頑固一徹の武辺者の狙いは、真っ直ぐに怨敵の首を狙いに行くことにあるらしい。
 その時、武田信繁が声を上げる。
「御屋形様、しばし、お待ちくだされ。兵部、そなたが奇襲の軍勢に回ってしまえば、先陣の右翼を担う将がいなくなってしまうではないか」
 本隊の左翼を担っている先陣大将ならではの危惧だった。
 それに反応したのは飯富虎昌ではなく、もう一人の気骨の老将である。
「典厩殿。そのお役目、兵部の代わりに、それがしへお命じくださりませぬか」
 室住虎光が申し出た。
「しかれども……」
「奇襲隊が追い落とす敵勢を迎え撃つならば、それがしと道鬼斎の足軽隊が両翼を担い、先陣中央の奥で典厩殿が采配していただければ、こと足りるのではありますまいか。少しばかり変則の鶴翼(かくよく)となりますが、充分に働いてみせまする」
「それはそうだが……」
「兵部に較ぶれば、この身が不足なのは重々承知しておりまする。されど、赤備の大将が己の愛駒を下りてまで、今は亡き二人の朋友のために村上義清の首を狙いたいと申しておりまする。何とか、その心意気を汲(く)んではいただけませぬか。この老骨が一命を賭し、穴埋めをさせていただきますゆえ、どうか、お願いいたしまする」
 気骨の老将は膝に両手を置き、深々と頭を下げる。
「そこまで申されるならば……」
 信繁は二人の心意気を汲む。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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