第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)5
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「なんとも苛烈な策であるな。兵部、その策で完勝するまでに、どれほどの犠牲を覚悟しておけばよいのか?」
「それは……」
さしもの猛将も返答を失って俯(うつむ)く。
「高陵の敵へ攻めかかるのは容易なことではなく、相当の犠牲を覚悟せねばなるまい。加えて、野戦とは違い、山間に潜む兵は思ったほど一気呵成(かせい)に敵陣へ攻め込むことができぬ。背後からの攻撃に勢いがつかねば、麓から寄せる兵はただの餌食となる」
「……さ、されど、これだけ膠着した戦局を動かすには、多少の犠牲を覚悟せねばならぬと仰せになられたのは、御屋形様ではありませぬか。この評定は景虎を戦場に引きずり出すための策を案ずる場だと申されたではありませぬか」
珍しく頰を紅潮させ、虎昌が食い下がる。
「その通りだ。されど、力攻めの挟撃がうまく形になったとしても、さような乱戦では同士討ちの恐れさえ生まれ、勝ちに至るまでの筋が読めぬ。おそらく、敵を殲滅した頃には、総軍の半分も残っているかどうかわからぬであろう。兵部、そこまでの辛苦を将兵たちに強いる策を、余には下知する自信がないのだ」
信玄は驚くほど静かな口調で答えた。
飯富虎昌は口唇を真一文字に結び、両膝の上で拳を握りしめた。
この総大将は、家臣たちが具申する策をことごとく潰しているように見える。
しかし、将たちには、そうでないことが伝わっていた。
信玄は朝から一人であらゆる策の形を想定し、そこで起こりうる戦況をこと細かく脳裡に描いていたのである。軍勢の配分を細かく刻み、動かし方を決め、出現するであろう戦模様を観想した。
この自問自答を延々と繰り返し、それぞれの策に潜む弱点を見切った上で評定に臨んでいる。
そして、戦に神算を持つと言われる信玄でさえ、まだ奇襲の方法に対して確固たる答えを導き出しかねていた。それほど策の仕立てが難しいということである。
ここに至り、家臣たちにもやっと、そのことが理解できていた。
沈黙に包まれそうになる評定の場をゆり動かすように、信玄が再び口を開く。
「皆の揚足(あげあし)を取るような話ばかりをしているように思うかもしれぬが、軍勢の配分によって策自体がまったく意味合いの違ったものとなるということが、これでよくわかってもらえたであろう。ここはまず、元に戻って仕立を考え直してみるしかあるまい。菅助、そなたがこの策を案じた時の要諦を申し述べてみよ」
「……はい、御屋形様」
隻眼の老将は眼帯を直し、俯き加減になる。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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