第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)5
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「ならば、景虎は正気の上に、尋常ではない胆力でもって、身動(みじろ)ぎもせずにあそこに陣取ったままということになるの。げに恐ろしきことよ」
菅助は溜息をつくように言った。
老将の真意を計りかね、真田幸隆はその横顔を見つめる。
「されど、相手を恐ろしいと思えば思うほど、この瓢箪頭(ひょうたんあたま)がよく働くようになる。逆に申せば、相手を心底から恐れなければ、窮余の一策などは思いつかぬ。そなたは武田随一の智慧者(ちえもの)ゆえ、この老骨とは違うと思うが」
山本菅助は微(かす)かな笑みを浮かべて幸隆に向き直る。
――なるほど、菅助殿はすでに次の一手を考えておるということか……。それを投げかけるためにここへ参られたと。やはり、武田の将であれば、考えていることは皆同じか。
幸隆はそう直感していた。
「道鬼斎殿、かかる局面で、もう窮余の一策が必要だとお考えか?」
「またまた、さように意地悪な問いかけをなさるな。この戦はすでにわれらの予測を超えて進んでおりましょうて。これだけ無駄に長く生きている身にとっても、かような戦模様は生まれて初めてだ。ひょっとすると、御屋形様の思惑すらも超えておるのやもしれぬ。それでも、窮余の一策が必要ないと申されるか」
「いや、言われてみれば、まさにその通り。それがしも先ほどから、次の一手を考えあぐねておりました。されど、妙案が浮かばず、困っていたところ。ところが今、そなたと話していて策が浮かばぬ理由が、やっとわかりましたぞ。おそらく、兵法の常道にそって普通の策ばかりを考えていたからでありましょう。なるほど、次の一手には、窮余の一策が必要であるか」
幸隆は面白そうに呟く。
「御屋形様はこたびの陣替えで、干戈を交えることがいかに無用であるかを景虎に示そうとしておられる。されど、その無言の投げかけを解したとしても、あの者が素直に応ずるとは思えぬ。すなわち、次の一手が最も難しい一手となるのではあるまいか」
「それがしも、さように思いまする。これからの評定(ひょうじょう)が思いやられまする」
「皆が好き勝手に策を述べて一向にまとまらぬか、あるいは一斉に黙り込むか、そのいずれかであろうな」
どちらかと言えば、後者の方になりそうな気配だった。
武田の軍議はそれぞれが闊達(かったつ)に意見を具申するので、策があるときは収拾が難しくなるぐらいに評定が白熱する。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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