第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)5
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
片膝をついた香坂隊の使番頭が深々と頭を下げる。
「昌信めが、勝手なことを……」
飯富虎昌が舌打ちをしながらそっぽを向く。
「まことに申し訳ござりませぬ」
使番頭が再び頭を下げた。
「致し方あるまい。香坂隊が間に合わぬのでは、元も子もない。大儀であった。そなたらは戻ってよいぞ」
真田幸隆は眉をひそめて伝令に言い渡す。
「あのぅ、真田殿……」
「何であるか?」
「われら五人の他に、こちらへ伝令の者は来ておりませぬでしょうか?」
「来ておらぬが」
「あまりに霧が深いため、あと三組の伝令が走っておりまする。こちらへ着いていないということでありますれば、霧のせいで道に迷っているのやもしれませぬ。この霧は麓から絶え間なく立ち上り、この頂きに溜まっておりまするゆえ、どうか、先の行軍にお気を付けくださりませ」
「さようか……。心得ておく」
真田幸隆は思わず二人の将の表情を窺う。
「兵部殿、いかがなされまするか?」
馬場信房が、飯富虎昌に訊ねる。
「われら赤備衆はこれより鏡台山からそのまま下山いたす。悠長に構えているわけにはいかぬからな」
「それがよろしいかと。われらもこの先へ進みまする。奇襲開始の刻限は、決めた通りに寅(とら)の前刻(午前三時)ということで」
「おう。われらはその刻限に間違いなく村上(むらかみ)義清(よしきよ)の陣へ攻め寄せる。各々、戦果をあげた後、雨宮で再び合流いたそう」
「さようにいたしましょう。われらも先を急ごうぞ」
馬場信房が険しい表情の真田幸隆に言う。
「一徳斎殿、昌信へ伝言を頼む。この戦が終わったならば、赤備名物の山盛灸(きゅう)を馳走(ちそう)いたすゆえ、ゆめゆめ逃げられるなどと思うでないぞ。さように飯富が申していたと伝えてくれ」
飯富虎昌は笑みを浮かべる。
「わかりました。それがしが昌信の軆(からだ)を押さえつける役目をさせていただきまする」
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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