第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)5
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
信繁の言葉を受け、馬場信房が手を挙げる。
「ならば、それがしに献策させていただけませぬか」
「頼む、民部」
「はい。相手が動かぬならば、こちらも動かぬというのも策のひとつではあり、互いの我慢較べとなりますが、それではいつまでたっても先行きが見えませぬ。それゆえ、こちらも動かぬと見せかけながら、ある時、一気に相手が動かざるを得なくなる奇襲を仕掛けるのはいかがにござりましょう」
「相手が一気に動かざるを得ない奇襲?」
「さようにござりまする。それについては足軽隊による入念な下拵えが必要となりますゆえ、詳細は道鬼斎殿よりお聞き願えませぬか」
あらかじめ申し合わせていた通り、馬場信房から山本菅助が話を引き継ぐ。
「これから申し述べることは奇策ゆえ、御屋形様を始めとする方々のお気にそぐわぬやもしれませぬ。されど、どうか仕舞いまでお聞き願いたく存じまする。眼前で起こる出来事に対して微動だにせぬ相手に対し、いくら正面から仕掛けても動かすことは難しいとすれば、その背を押してやることで前のめりになって山を下り始めるのではありませぬか」
菅助の話を聞き、信玄が呟く。
「うむ。追い落としの計か」
「さようにござりまする。ここからの話は、大地図を見ながら聞いていただいた方が良かろうと思いますゆえ、こちらに図を」
菅助の命で、小姓が畳二枚分ほどの大地図を運び入れる。
一同もそれを覗(のぞ)き込もうと身を乗り出す。
「ご覧の通り、広く地勢に眼を向けますれば、妻女山は単独の峰ではなく、背後に天城山(てしろやま)、鞍骨山(くらぼねやま)、大嵐山(おおあらしやま)などの尾根が繋(つな)がっており、最も高い鏡台山(きょうだいさん)まで細いながらも尾根道が続いておりまする。実は、この鏡台山の頂きから北東の狼煙山(のろしやま)の麓へと下りる唐木堂(とうぼくどう)越えという岨道(そわみち)がありまする。逆に申すならば、海津城から松代(まつしろ)の里を通り、この唐木堂越えを使って鏡台山へと登ることもできまする。この道は地元でも手練(てだれ)の猟師ぐらいしか知らず、とうてい越後の者どもが把握しているとは思えませぬ」
菅助が示した道筋を見て、一同が無言で頷く。
「鏡台山の頂きは妻女山の倍以上の高さがありますゆえ、敵が背後からの奇襲を警戒していたとしても、さすがにそこから敵が現れるとは思うてもおりすまい。もしも、ここから敵陣をめざすならば、頂上までの登りはきつかろうと思いますが、残りの道は尾根伝いの下りとなり、足軽ならばさほどの難儀とはなりませぬ。つまり、奇襲隊を配するには絶好の場所ではないかと」
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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