第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)5
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
話を聞いているだけで自然と戦模様が脳裡(のうり)に浮かび、総大将が何を欲し、己が何をすればよいか、絵で見えてくる。
それがこの半月以上、政虎がずっと脳裡で描き続けていた軍略だった。何度も観想することによって、この武神にはすでに戦を行ったかの如(ごと)く見えているのである。
「さて、次に渡河の機であるが、余のもとへ大嵐山からの知らせが届いたならば下知いたすゆえ、先陣から順に渡河いたし、東福寺(とうふくじ)の辺りに陣取ることとする。その布陣について、これより説明いたす。長親、図を持て」
政虎の命を受けた河田長親が布陣図を持ち込み、将たちの中央に広げた。
それを一目見た刹那、将の誰もが息を呑む。
そこには見たこともない布陣が描かれていた。
「御屋形様、これは……」
先頭に名前が記された柿崎(かきざき)景家(かげいえ)が驚愕(きょうがく)の声を漏らす。
「こたびは敵を完膚なきまでに叩(たた)くため、新しき陣形を使う。軍を二つに割った晴信の本隊はおそらく、われらと同等の一万二千か、それよりもわずかに多いくらいであろう。その軍勢で得意の鶴翼(かくよく)にでも構え、妻女山を追われたわれらを包むように攻撃しようと考えているはずだ。されど、われらは追われもしなければ、包まれもせぬ。そして、野戦で敵の最も得意な鶴翼の陣を打ち破るのが、この新しき陣形である」
政虎は昨夜認めた布陣図を指し示す。
そこには奇妙な円陣が書かれている。先陣の柿崎景家から左回りの円を描いて騎馬の軍勢が並び、その真ん中に上杉政虎と馬廻りが配置されていた。よく見れば、通常の方円陣ともどこか違っている。
「これがこたびの陣形及び戦法、龍蜷車懸(りょうげんくるまががり)の陣である」
双眸(そうぼう)に強い光を宿した政虎が言い放つ。
「これまでの陣形や戦法をすべて頭から捨て、これから余の申すことをよく聞いてくれ。ここからは龍の戦い方に徹する」
総大将が語り始めた新しい陣形と戦法の話に、越後の将たちが聞き入る。
その面持ちは緊張で引き締まり、ほんのりと頰が紅潮していた。
長い沈黙と忍従を経た越後勢の戦いが、まさに始まろうとしている。
妻女山にも夜の帳(とばり)が下り始め、 星が瞬くたびに決戦までの時が刻まれた。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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